バベル君でハロウィンSS。
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今回のAlchemistのハロウィンライブは教会で行われるのだという。いつもは神聖な空間にどことなく怪しげな雰囲気が漂っていて、何が起きるのかとドキドキしてしまう。
そんな会場を通りすぎて、私はAlchemistのメンバーがいる控え室を目指していた。
「失礼します。頼まれてた追加の小道具を持ってきました」
一度ノックをしてから扉を開ける。
「あれ、すたっふさんだ」
部屋の中にいたのはバベルさん一人だけだった。てっきりメンバー全員がいると思っていたんだけど、どこに行ってしまったんだろうか。
「残りの二人はまだ戻ってきてないんですか?」
「うん。さくはぷろでゅーさーのところにいってるよ。くろはまだらいぶのさいしゅうちぇっくをしてる。
バベル、ひとりでたいくつだったから、きみがきてくれてうれしい」
バベルさんは、ニコリと笑いながら私に手招きする。本当はあまり長居してはいけないんだけど、彼の笑顔につられてついつい部屋の中に足を踏み入れてしまった。
誰にも見つかってないといいな。
「お邪魔します」
「ふふっ、いらっしゃい」
いつもと変わらない明るい笑顔を浮かべているバベルさんは、ライブ衣裳に着替えているせいで纏う雰囲気は普段とは異なっていた。
銀髪には青と紫のメッシュが入り、爪は黒いマニキュアが綺麗に塗られている。服はところどころ破れていて、そこから白い肌が覗いている。大きく開いた胸元からは細身でありながらもしっかりとした筋肉が見えて、目のやり場に困ってしまった。
「今回は神父の仮装なんですね」
「そうだよ。あくまばらいをするんだ。エヴァさまが"えくそしすと"っていってた」
十字を切ってみせるその姿は、とても様になっていた。
「今のバベルさんなら、悪魔にも勝てそうですね」
「ありがとう。あ、そうだ!」
バベルさんは何か思い出したのか、パチンを手を打ち合わせた。きっと楽しいことなのだろう。目がキラキラの輝いている。
「とりっくおあとりーと」
ハロウィンの定番の呪文。それをいきなり投げ掛けられて、一瞬だけ呆気に取られてしまった。
しかし、彼にやんわりと手と掴まれてすぐに我に返る。
(どうしよう……)
期待に満ちた視線が気まずくて、つい俯いてしまった。そのまま、ちらりと上着のポケットに視線を落とす。
今、ポケットの中にあめ玉が一つ入っている。せめてそれだけでもあげられたらいいのだけど、一つだけ問題があった。
よりによって彼の嫌いなミルク味だったのだ。
ハロウィンだから何かあげたい。でも、さすがに嫌いなモノをあげるのものどうなのだろうか。そんな思いが頭の中をグルグルと鼬ごっこする。そのまま無駄な時間だけが流れていく。
バベルさんはしばらく微笑みながら返答を待っていたけど、何も言わない私に首を傾げた。
「どうしたの?バベルにおかしくれないの?」
「えっと、申し訳ないんですが今はお菓子を持っていなくて……」
やはり、嫌いなモノはあげられない。そう決めて、私は謝った。とても、心が痛い。
「そっか。じゃあ、しかたがないね」
もっと残念そうな顔をするのかと思っていたが、バベルさんはあまり落胆せずにすんなりと諦めたようだった。少し罪悪感は感じたものの、そこまで悲しませずにすんだようで、ホッとした。
「本当にごめんなさい」
「ううん、いいよ。きみからおかしがもらてなかったのはすこしざんねんだけど、かわりにきみをたべさせてもらうから」
「えっ⁉」
ずっと掴まれたままだった手を引っ張られ、私の体はバベルさんの方に倒れ込む。そのまますっぽりと彼の腕の中に収まってしまった。
空いていた方の手が、逃がさないと言わんばかりに私の背中に回される。
「ちょっと、バベルさん!離してください」
「…………断る」
バベルさんを取り巻く空気が一瞬で変わった。
さっきまでとは違う低い声が、右耳を擽る。たったそれだけなのに、私の体はゾクゾクと粟立った。
横目でバベルさんを見ると、とても愉快そうに目を細めていた。こういう時にライブモードを出してくるなんてズルい。
「お前は悪戯をされることを選んだのだ。大人しく俺に身を委ねていろ。酷くされたくはないだろう?」
ゆっくりと、まとわりつくような。全身を侵していくような。そんな誘惑的な声が私を支配しようとする。
バベルさんの声はまるで魔法みたいに私に浸透して、金縛りにあったみたいに動けなくなってしまった。
それに気をよくしたらしいバベルさんは、クツクツと喉を鳴らして笑った。
「いい子だ」
その言葉を合図に、右耳は熱くて柔らかな感触に包まれた。何度も、何度も、その感触に襲われる。
「はぁ………あ、むっ………」
バベルさんの咀嚼する音が嫌という程に頭に響き渡っていく。舌の弾む音や、唾液の絡まる音、溢れ出る彼の吐息が、聴覚から思考を犯されていく。
逃げ出したくなるくらいにこそばゆくて、意識が浮き上がりそうなくらいにふわふわして、バベルさんのこと以外考えられなくなるくらいに気持ちがよくなっていく。
(駄目、こんなところを見られたら……)
バベルさんに溺れそうな思考の片隅で、今の状況の危うさに不安で胸がざわついていた。
一般のスタッフとアイチュウである彼が抱き合ってるところを誰かに見られでもしたら、大変だ。そんな焦りが鼓動を更に不規則にさせた。
「何を考えている」
「痛っ」
ガリッと強めに耳を噛まれた。その刺激は痛みを通り越して快感となって、私の冷静な思考を鈍らせた。
「俺以外のことなど考えるな」
もう一度、さっきよりも強い痛みが駆け巡る。グリグリ、と耳朶に歯を立てられている感覚がありありと伝わってきて、体が震えた。
正直、少しだけ怖い。それなのに、私の心はとっくにバベルさんに捕まって、離れることなんて出来そうになかった。
乱暴に扱われてジンジンと疼く耳に、優しく唇が押し当てられる。それが、終わりの合図だった。
「ごちそうさま」
一通り私を堪能したらしいバベルさんは、いつの間にか普段の彼に戻っていた。ゆっくりと喋る穏やかな口調に、無性に安心感を感じて、腰が抜けてしまいそうになる。
「ふふっ、いまのきみ、かおがまっかだね。いちごさんみたいでおいしそう」
「お…お願いなのでもう食べないでくださいね」
「うん、いたずらはもうおしまい」
今度はこっちのバベルさんに食べられるのではないかとハラハラした。正直言って、バベルさんならやりかねないから…。
そう思って、まだ痺れの残る膝と腰に鞭打つ。名残惜しいけど、もたついている間にまた何か起こったら大変だ。
「それじゃあ、まだ仕事があるので失礼しますね」
「うん、あそびにきてくれてありがとう。でも、さいごにひとつだけおしえて」
どうやら、あっさりとは帰してくれないらしい。バベルさんは私の腰辺りを指差す。
「どうしてぽけっとにあめがはいってるのに、おかしはないよっていったの?バベルにおかしをあげたくかったの?」
きょとんと小首を傾げるバベルさんに、まるで心の中を覗かれているような気がして、ゾワリと寒気がした。
どうして気付いたのだろう。外から見ても全然分からない筈なのに……。
「もしかして、バベルにいたずらされたかった?」
無邪気に頬笑みながら尋ねてくるバベルさんはとても可愛らしい。それなのに、私にはとても恐ろしくも見えていた。
差し詰め、今の私は悪魔祓いに追い詰められた悪魔といったところだろう。