いいこ、いいこ、と。バベルの銀色の髪に細い指が絡み、滑っていく。ライブの後、彼と彼女の間でいつの間にか定着してした『おつかれさま』の合図だ。
30cm近くの身長差があるバベルの頭に手を伸ばすのは中々大変だ。彼女がつま先立ちで、ピンと腕を伸ばし、バベルに自らの体を支えてもらって、やっと頭のてっぺんに手が届く。
椅子に座るなり、しゃがむなりすればいいのだが、バベルは頑なにそうしようとはしない。それはちょっとした意地悪だった。
「バベルさん、今日もおつかれさま です。すごく格好良かったですよ」
彼女はいつもバベルを褒める。
歌がよかった。演技に引き込まれた。輝いていた。
その言葉はその都度違う。舞台裏から見守り、感動した気持ちをぶつけるのだ。それに嘘偽りはなく、バベルを満たし、とてと温かな気持ちにさせた。
しかし、次第にその言葉だけでは物足りなくなって、心にモヤモヤとした気持ちが溢れて止まらなくなるようになっていた。それが嫉妬のせいだと気付いたのはいつからだろうか。
「きょうのバベル、かっこうよかった?」
「はい!ものすごくドキドキしましたよ」
「そっか。じゃあ、いまもどきもきしてる?」
「うーん、どうでしょうか。いつものバベルさんと一緒にいたら、ホッとしちゃいました」
悪気なく、彼女はそう言うのだ。
心が落ち着く。癒される。
ライブの時の自分とは違う言葉を投げ掛けてくる。それは嬉しくもあり、同じくらいに悔しくもあった。
(いまのバベルじゃどきどきしてくれないの?ライブのときのバベルじゃないとだめ?)
ライブモードの自分に嫉妬し、今の自分ではときめいてもらえないと嘆く。
そんな負の感情を胸にしまいながら、バベルは今日も彼女に意地悪をするのだ。
彼女はそれに気付かない。ニコリと笑って、彼に体を預け、優しく触れるのだ。彼の望む言葉を紡がずに……。
バベルは真っ直ぐに見上げめくる彼女から顔を背ける。
全く上昇しない体温。乱れない規則的な鼓動。変わらない穏やかな表情。
彼女は変わらない。何も変わりはしない。
「あなたはいつもそうだね」
彼女の気持ちを掻き乱して、ぐちゃぐちゃにしてしまいたいという願望を圧し殺し、バベルはとても小さな言葉と共に、沸き上がる黒い感情を吐き出した。