すーすーと、心地のよい寝息がどこからか聞こえてきた。一体誰が眠っているのだろうか。それが気になった蛮は辺りをキョロキョロと見回す。その正体はすぐに見つかった。
木漏れ日の射し込むエントランスのソファ。そこで寄り添うようにしてエヴァとバベルは目を閉じていたのだ。互いにいい夢を見ているのだろう。その表情はとても穏やかだった。
「あー!エヴァ様と一緒に寝るなんてズルい」
蛮は微笑ましげに二人を見つめる。そうしていると、側から悲鳴に近い声が聞こえてきた。
どうやら、偶然側を通りかかった澪も二人を見つけたらしい。彼はぷっくりと頬を膨らまして、今にも二人を起こしにかかる様子を見せている。これはマズイ、と蛮は空かさず止めに入った。
「澪、待つっすよ」
「何だよ、邪魔するなよ」
「そう睨まないでほしいっす。でも、二人を起こすのは可哀相っすよ」
「そんなの知らないよ。僕を差し置いてエヴァ様の隣を独り占めするのが悪いんだ」
あからさまに苛立っている澪に、蛮は困り笑いをつくろう。彼がエヴァをとても慕っている事も、自分にはやたらと辛辣な事も、今に始まったことではない。だから、今更傷付くようなことはないのだが、せっかく気持ちよさそうに眠っている二人の邪魔を澪にさせたくはなかったのだ。
暴れる澪を押さえつつ、蛮はどうしたものかと考えあぐねた。澪を諦めさせることはかなり難しい。それが出来るのは、目の前で眠っているエヴァとここにはいないプロデューサーくらいだろう。
さてどうしたものか……と、あれこれ考えていると、ふとエヴァの体がもぞりと動いた。それに驚いた二人はピタッと動きを止める。
しかし、エヴァは起きたわけではなく、ただ軽く体勢を変えただけだったようだ。その瞳が開かれることはなく、再び寝息を立てはじてた。
澪と蛮は、互いに顔を見合わせる。
「ふぅ、びっくりした。おい、蛮。お前のせいでエヴァ様が起きるところだっただろ」
「えぇ!ひどいっすよ、俺は澪を止めただけなのに……」
「口答えするなよ」
澪の視線が鋭くなる。きっと蛮でなかったなら、怯んでしまっていたことだろう。
だが、二人を起こすことに多少なりとも悪いと思い始めたのだろう。澪の声は怒りを含みながらも、とても小さく抑えられている。その事に蛮は安堵した。
「何笑ってるんだよ」
「笑ってなんかないっすよ。それより、せっかくだから何かおやつでも摘まみに行かないっすか?」
「はぁ?何でお前なんかと…」
「いいじゃないっすか。ついでにエヴァ様とバベルの分も用意しにいくっすよ」
「なぬっ!そういう事なら僕も行くよ。エヴァ様の分は僕が用意するんだから」
「いいっすよ、じゃあエヴァ様の分は任せたっす」
蛮は澪の服の袖を掴む。澪はあからさまに嫌そうな顔をしていたが、蛮は気にせずに食堂の方へと歩き始めた。
「おい、そんなに引っ張るなよ」
「澪がもたもたするからじゃいっすか。ほら、急ぐっすよ」
「食い意地張りすぎなんだよ、このバカ蛮」
小声で悪態をつく澪に、蛮はくしゃりと顔を緩める。食堂へ向かう途中で、何度か手を振りほどかれそうになったが、彼が袖を掴む手を離すことはなかった。
「ふっ、ふふふ……」
賑やかな声が遠退いていき、静けさの戻ってきたエントランスに、今度は小さな笑い声が響いた。
声の主は、さっきまで眠っていたはずのエヴァだ。彼は目を閉じたまま、唇で弧を描く。その表情はとても優しく、幸福に満ちていた。