夜の教会はとても気味が悪かった。神様の加護なんてこれっぽっちも感じないくらいに、寒くて、怖い。
もしかしたら私が取り返しのつかない罪を犯してしまったから、そう感じているのかもしれない。神様が怒って、そうさせているのかもしれない。
いつの間にか、窓の外で荒々しく吹いていた風はピタリと止んでいた。辺りを照らしていたはずの月は雲に呑まれてしまった。虫の声も、獣の声もない。ただ、私の消えそうな呼吸と、床を踏みしめる音だけが、響いていた。
逃げたい。帰りたい。
そんな気持ちが押し寄せる。でもダメだ。ここで引き返したらいけない。
私は自らの罪を懺悔し、悔い改めなければならないのだから…。
やっとの思いでたどり着いた懺悔室には、もちろん誰もいなかった。それでいい。これは神様以外に聞かれてはならないことだ。
ドクドクと荒くなっていく鼓動のせいで呼吸が乱れる。震える唇を噛み締めて、私は手を組み、目を閉じた。
「神様、どうか私の罪をお聞きください」
シンッと静まり返った教会に、私の声が浸透していく。
「私は取り返しのつかない罪を犯してしまいました。私は、私は………天使様と禁忌を犯してしまいました」
言葉にした途端に、罪の重さを改めて感じてしまい、ゾワリと寒気がした。
ふと、脳裏に天使様の姿が浮かび上がる。真っ白な羽をした、とても綺麗な天使様。真面目で少し意地っ張りで、それでいてとても優しい方だった。
私はあろうことか、一時の恋心の誘惑に勝てず、その天使様を穢してしまったのだ
「赦されることだとは思っておりません。どんな罰でも喜んで受けるつもりです。ですかどうか、あの天使様には御慈悲をお与えください」
「………どんな罰でも受ける覚悟はあるのか?」
「⁉」
ふと、頭上から声がした。低い男の人の声だ。
最初は神様の声かと思ったけど、違うのだとすぐに分かった。だって、私はこの声を知っている。
「もう一度問う。お前はどんな罰も喜んで受ける覚悟はあるのか?」
「………はい」
何とか声を絞り出して答えると、影が降りてきた。真っ黒な羽と共に。
目の前に降り立ったその影に私は目を見開いた。
「貴方は……」
「何だ、もう俺の顔を忘れてしまったのか?」
「天使…様………」
彼は頷く。そして笑った。でも、昔みたいな優しい笑顔とは駆け離れた歪んだ笑顔だった。真っ白な翼も見当たらなくて、代わりに黒く染まったボロボロの翼が生えている。
その姿から、彼に何があったのか嫌でも分かってしまった。
「どうやら理解したようだな」
彼の手が私に伸びてきて、首を掴んだ。腰が抜けてしまいそうになっていた体を首だけで支えられ、苦しくて息が詰まりそうになる。
「俺はお前を抱いた。そして、神に咎められて天界から地獄まで堕とされた。お前が今更祈ったところでもう遅い」
どんどん息が出来なくなっていって、頭が真っ白になっていく。それなのに、彼の言葉だけははっきりと聞き取れた。憎しみに満ちた声が心に突き刺さる。
「神はお前を赦すと言っていた。だが、俺はお前を赦さない。お前だけがのうのうと平穏な人生を送れると思ったら大間違いだ」
彼の顔が近付いてくる。そのまま噛みつくように口付けられた。気持ちよくなんてない、ただ痛くて、苦しいだけの口付けだった。
思わず目を閉じる。途端にぐらりとめまいがして、足元の感覚がなくなったような、浮遊感に近いような感覚に襲われた。
「間抜けな顔だな。おい、いつまでそうしているつもりだ。さっさと目を開けろ」
言われるがままに瞼を持ち上げる。そして目を疑った。
彼の背後に広がっているのは教会の天井ではなかった。灰色の雲と真っ赤な空だ。
床もなく、私は彼に支えられて浮いている状況だった。下に何があるのかは分からない。霧が立ち込めていて何も見えないからだ。微かに悲鳴と血生臭い風が吹き上がってくる。
地獄だ。そう直感した。
「どうやら察したようだな」
ゆっくりと、首に込められた力が緩んでいく。
息苦しさからは解放されたけど、代わりに恐怖が込み上げてきた。今、彼に手放されたら私は……。
そんな私の心を読み取ったのか、彼は禍々しく嗤った。
「いい顔だ。その顔が見たかった」
無慈悲に、彼の手が離れた。
「哭け、叫べ。俺と同じ苦しみを受けて、魂を穢せ。俺と同じところまで堕ちてしまえ。それがお前の罰だ」
支えを失った私は、ただ堕ちていくしかなかった。
轟々と炎が燃えたぎる地獄の奥底へ。終わることのない苦痛と、絶望の深淵へ。まっ逆さまに堕ちていく。
「安心しろ。お前の魂が俺のところまで堕ちてきた暁には、永遠に愛してやる。恐怖も苦痛も分からなくなるくらいに愛し尽くして、快楽に沈めてやる」
その言葉を最後に、私の視界と意識は真っ赤に燃える炎に包まれて、悲鳴すらあげることも出来なかった。