今日は厄日だ。
引き継ぎだ仕事には不備があるし、そのせいで何故か私が怒られて、後始末をさせられて…。そのせいでお昼ご飯は食べれなかったし、無駄な残業が増えた。しかも外は雨が降っているのに、傘立てに置いておいたはずの傘までなくなっている始末だ。
コンビニに寄って傘を買う気力も起きなくて濡れながら暗い帰り道を歩いていたが、冬の夜の雨はすごく冷たくて、痛かった。
このまま死んでしまえたらいいのに。この辛い気持ちも、止まらない涙も、何もかもを雨に奪われてしまえたらいいのに。
どんどん勢いを増す雨に打たれながら、そんなことばかり考えていた。
雨水を吸った服が、靴が、鞄が重たくなっていく。心が沈んでいく。最後には動けなくなって、暗い道端に立ち尽くしてしまった。
「こんなところでどうしたの?」
ふと、容赦なく私を打ちのめしていた雨が止んだ。
それと同時に聞こえてきた優しい声と頭上でバラバラと雨粒の弾ける音に、思わず振り返る。
「バベル君…」
彼も仕事帰りだったのだろうか。体に見合わない可愛い子供用の傘をさしたバベル君が、心配そうにこちらを見下ろしていた。私が濡れないように傘を傾けてくれているせいで、体のほとんどが濡れてしまっていた。
「きょうはおそらがすごくかなしそうだったけど、ないてたんだね」
「えっ……」
「かなしいきもちがつたわってきてた。だれがないてるのかなっておもってたけど、きみだった。どうしたの?なにか、かないしことがあった?」
どんよりとした雨天とは正反対の綺麗な青色をした目に見つめられる。じっと私をのぞき込んでくるその目に心の奥まで見透かされているような気がした。
「バベルにおななしするのは、いや?」
ずっと私が黙っていると、バベル君は少し表情に影を落とした。
別に話したくないわけではない。ただ、今この気持ちを言葉にしたらもっと泣いてしまいそうで、言えなかった。それにこれ以上彼にみっともない姿を見せたくはなかったのだ。
だから、首を横に振った。それが限界だった。
「いやじゃない?」
私は頷く。
「そっか。よかった」
やっと、彼は笑顔に戻った。それに安心して、私はさらに泣いてしまったのだけれど…。
そんな私をバベル君はただただ見下ろして、頭を撫でてくれた。これ以上は何も聞かずに、ただ見守ってくれた。
「あのね、おはなしするのがつらかったら、へんじはしなくていいよ。でも、バベルのおはなしをきいてほしい。
バベルね、むかしはかなしいことがあると、いつもあめにぬれにいってたの。あめといっしょに、ないてた。あめは、かなしむのもだっておもってたから。でもね、かなしくないあめもあるってしったんだ。かなしむことも、たのしむこともできるんだって、しった。
きっと、いまのきみにとって、このあめは、かなしむためのあめだっておもう。そういうときは、がまんしたいで、たくさんないたらいいよ」
ザァーっと、急に辺りが煩くなった。また、全身が雨の冷たさに包まれる。
バベル君が傘を閉じたからだ。
大量の雨と涙のせいて視界がぼやける。そのせいでバベル君がどんな顔をしているのか分からなくなった。それがたまらなく不安に思えていると、急に体を引き寄せられた。
「ひとりでなくのはさみしいから、きみのかなしいきもちをはんぶんわけて?」
耳が痛くなるくらいの騒音の中、そっと耳打ちされたバベル君の声はしっかりと私に届いた。彼の優しさも、温かさも、じわじわと私に広がっていく。
不思議だ。さっきまで辛かっただけの雨が、少しだけ心地よくなった気がした。