今日のバベルはやけに機嫌がよさそうだった。嬉しいことがあるとニコニコと頬を緩ませるのはいつものことだが、この日は一段と緩みきっていた。
「バベル、今日はやけに……」
「バベル、どうしたの?いつもに増して顔がにやけてるじゃん」
気になって訪ねようとしたが、それを邪魔するように朔空が言葉を被せてきた。しかも俺の肩に肘を乗せてもたれかかってきたのだから、たまったものではない。邪魔だ、と視線で訴えかけたが、朔空は素知らぬ顔で知らんぷりを決め込んだようだ。そんな態度が腹立たしくて、朔空をふるい落とそうと身じろいだ。しかしあいつは意地でも俺の肩から離れるつもりはないらしい。肩は軽くなるどころか、朔空にグイグイと押されて重みが増した。
そんな俺と朔空の静かな攻防など梅雨知らず、バベルはずっと笑ったままだった。
「あのね、もうすぐくりすますだからって、ぷりっしゅかるてっどのみんながばべるにくっきーをくれたの」
「へぇ、よかったじゃん」
「うん、とってもうれしい」
バベルはリュックを肩から下ろすと、中から可愛い包みを取り出した。きっと手作りなのだろう。形や焼き色にムラがあるものの、可愛らしいクッキーが透明の包装に包まれていた。アイシングで彩られたものも幾つかあって、そのパッとした鮮やかさに目を引かれた。
バベルは可愛いものが好きだから、きっと一目で目を輝かせた事だろう。そして今のように眩しい笑顔を浮かべたに違いない。
アルケミストで一番人付き合いがいいのは間違いなくバベルなんだろうけど、こうやって他のユニットメンバーと仲良くしているところを目の当たりにすると微笑ましいし、喜ばしくなる。こっちまでつられて嬉しくなってくるくらいだ。だが、同時に俺の心はどこか浮かばれない心地だった。バベルが羨ましいとか、クリスマスが近付いてきた事への焦りとかではない。全く別のもやもやした何かが胸につっかえるような感覚だった。
この気持ちは何なのか。分からないまましばらく考えていると、ふと朔空の横顔がチラリと視界に入ってきた。笑っていない。笑顔は貼り付けているが、どこか不服そうに見えるのは気の所為ではないだろう。
朔空も俺と同じなのだろうか。そんなことを考えながら朔空を見ていると、不意に目が合ってしまった。突然の事で慌てて視線を反らせたが、その直前に朔空の目がニヤリと歪んだのが見えた。
「バベル、あんまり嬉しそうにしてると黒がヤキモチ妬いちゃうよ?」
「はっ?」
いきなり何を言い出すのか。言われた事が全く理解できなくて朔空を再び見ると、あいつはさっきとは違って楽しげに悪い笑みを浮かべていた。一方でバベルも朔空の言葉の意図が分からないらしくて、きょとんとしていた。
「くろがやきもち?なんで?」
「バベルがすっごく嬉しそうにしてるからかな」
「バベルがよろこぶと、くろはやちもちをやくの?」
「黒は自分がバベルを一番喜ばせたいって思ってるからねぇ」
「おい、朔空!いい加減なことを………」
好き勝手に言い出す朔空に抗議しようと思ったが、俺は不意に口を閉ざしてしまった。奴の言葉が胸にストンと落ちたからだ。
バベルが他のユニットメンバーと仲良くしているのは喜ばしいことだ。その筈なのに、気持ちはもやもやしている。自分以外に万円の笑みを向けてほしくないという独占欲。それから、自分の方がバベルを笑顔に出来るという対抗心。それらが、このもやもやの正体なのではないか。そして、朔空も似たような感情を抱いているのではないか。そう考えると、この違和感も朔空の不服そうな眼差しも合点がいった。
「くろ、だいじょうぶ?こわいかおしてるよ?」
バベルに声をかけられてハッとした。いつもの癖で眉間に皺が寄っていたのだろうか。バベルは不思議そうな顔をしていた。
「さくがいってたとおり、くろはやきもちをやいてるの?」
「なっ、違っ……」
戸惑う俺を見て、バベルは少しだけ頬を緩めた。それがどことなく嬉しそうに見えて、顔が熱くなる。しかも背後からは朔空の小さな笑い声が聞こえてきて、恥ずかしさで燃え上がってしまいそうだった。
「俺は別に焼き餅を焼いているわけではなくてだな……」
一体何を弁解しようとしているのか。自分でもわけが分からなくなってきた。とにかく話を変えなくては、と焦る頭を懸命に動かした。
「えっと……そうだ!ここ数年オフでクリスマスらしいことをしていないだろう。今年はお前達と何かしたいと思ったんだ」
「くりすますらしいこと?」
「あぁ、具体的には何もまとまってはいないが、せめてケーキでも焼いてみてもいいかもしれないな、と……」
「けーき!くろ、けーきやいてくれるの!?」
何となく口にしたケーキという言葉を聞いた途端に、バベルの表情がパッと明るくなった。思わず目を凝らしてしまいそうになるくらいの眩しさに俺がたじろいでいると、朔空が口を開いた。
「黒がケーキを焼くなら、俺も何か用意しようかなぁ」
「わぁ、さくもなにかしてくれるの?」
更にバベルの笑みが深くなる。途端に再び胸に何かが引っかかるような感覚を覚えた。
朔空の顔を盗み見ると、あいつの目にはまた闘争じみた鋭い光が宿っていた。しかも、次はそれが俺に向けられているような気がしてならなかった。もしかして、俺と張り合うつもりなのだろうか。
「バベル、せっかくだからお前の食べたいケーキを作ってやる。リクエストがあったら言ってくれ」
「俺もちょっと奮発しちゃうよ。食べたいものがあったら言ってね」
「ふふっ、くろも、さくも、ありがとう」
バベルが笑う度に、胸のもやもやが消えていき、代わりに温かいものが溢れてくる。安心感や喜び。そういった優しい気持ちが募っていく。だが、その柔らかな温もりに混じってドロドロした黒い感情も消えずに燻っていた。それどころか、どんどん強くなっているのは気のせいではないだろう。きっと、すぐ側に一番厄介な相手がいるからだ。
『朔空、あんまり出しゃばるな』
『黒こそ、張り切りすぎなんじゃない?』
視線を交わし、互いに牽制し合う。本来ならば仲良くクリスマスを楽しめたらいいのだが、今年は穏やかには過ごせなさそうだ。