星の綺麗な夜だった。
大小様々な星が煌めいて、濃紺の空を彩っている。月もハッキリと浮かび上がり、優しい光を帯びていた。まるで絵に描いたような夜空だ。
きっと、ここに星夜と奏多がいたらキラキラと煌めく星を指差して、明るい声を上げていたことだろう。今ここにはいないメンバーの二人の姿を思い浮かべながら、晃は目を優しく細めた。
「あきらくん、どうしたの?なにかうれしいことでもあった?」
晃が頭の中に描いた二人の代わりに、ゆったりとした声が聞こえてくる。晃の斜め前を歩いていたバベルの声だった。
晃とバベルは同じ事務所に属しているが、活動しているユニットも、仕事も全く違う。今日もそれぞれ個々に仕事をしていたのだが、ちょうど上がりの時間が同じだったため、成り行きで一緒に外に出た。そして帰り道が途中まで同じなため、二人で言葉を交わしながら歩いていたわけだ。
晃はバベルの事が未だによく分かっていない。二人での仕事をもらってからはそこそこ言葉を交わす機会は増えたのだが、今の彼の表情を読み解くことは到底出来そうになかった。
バベルは可愛いものや綺麗なものが好きだ。過去に奏多がそんなことを言っていたのを覚えている。だから、満天の星を目の当たりにした彼は大喜びするのではないかと思っていたのだが、その予測に反して彼はとても静かだった。表情も無表情に近い。それどころか、どこか暗澹とした気配を漂わせていた。
思っていたのと正反対の反応を見せるバベルを心配しつつ、晃はやんわりと言葉を返した。
「嬉しいってわけじゃないよ。ただ、星空が綺麗だから星夜や奏多がいたら喜びそうだなって思ってね」
もしかしてバベルは夜空に気付いていないのではないか。そんなことを頭に置いておき、晃は空を仰ぐ。すると、バベルもつられて顔をぐっと頭上に持ち上げたが、やはり表情は変わらなかった。
「そうだね。おほしさまも、おつきさまも、とってもきれい。あしたはきっと、さむいくなるね」
そして、またしても晃の予想とは外れた反応を返されてしまったのだった。バベルは早々と視線を戻すと、首に巻いていたマフラーをしっかりと巻き直す。更に表情を無くして……。
今日はそこまで寒くない。元々寒さは苦手だと聞いていたが、それでも彼の言葉と行動に晃は疑問を抱かずにはいられなかった。
「バベル君はこういう景色はあまり好きじゃないのかな?」
「うーん、よぞらはすきだよ。きらきらしてとってもきれいだから。でもね、きれいすぎるのはちょっとにがて。つぎのひのあさ、とってもさむくて、かなしくなるから」
思いがけない返答に、晃は戸惑った。
虚ろな目の彼は、一体どこを見ているのだろうか。心ここに在らずと言わんばかりで、心配でならなかった。
晃は、ふと彼の過去について思い起こす。本人から直接聞いたわけではないが、耳を疑うような話も少なくなかった。
もしかしたら、彼は何度も遭遇してきたのかもしれない。吸い込まれてしまいそうなくらいに美しい夜と、次の日に訪れる身も心も凍るような寒くて寂しい朝を………。
夜空を映さないバベルの冷たい蒼い目から、晃は思わず視線を逸らした。彼にどう言葉を返せばいいのだろう。その答えはいくら経っても出てきそうになかった。
冷たい風が二人の間を吹き抜けていく。サラサラと道端の草の流れる音がする。それに、ぽそりとバベルの声が混ざった。
「ほうしゃれいきゃく」
「えっ?」
「さくがね、バベルにおしえてくれたの。そらにくもがないと、おひさまのあたたかさがよるのあいだににげていってしまう。だから、つぎのひのあさはとてもさむくなるんだって」
最初は風の音を聞き間違えたのかと思ったが、そうではないらしい。急に話し出したバベルを晃はただ見守った。
「バベルはあめとおともだちだから、はれのそらはたまにいじわるしてくるんだとおもってた。でもね、それはちがってたの。しぜんげんしょうだから、いじわるじゃなかった。それがわかったら、かなしいきもちがすこしだけらくになった」
僅かにバベルの目に温もりが戻るのを感じた。表情も僅かに柔らかになったように見える。
「さむいのはいまでもにがてだし、むねがくるしくなるときもある。いまも、こころがちくちくいたい。でもね、いまはひとりぼっちじゃない。だから、いつのひかさむいあさもすきになれるひがきてほしいって、おもってる」
そう言って、ぎこちなくではあるけれど、バベルは笑った。いつもの眩しい笑顔とは掛け離れているけれど、今はこれが彼の精一杯なのだろう。
過去の辛い記憶は簡単には消えない。それでも、彼はそれすらも好きになろうと思っている。
「バベル君は強いな」
思わずそう呟いていた。自分で言った事なのに晃は唖然としてしまった。そして、それはバベルも同じみたいだった。彼はきょとんと首を傾げた。
「バベルは、つよいのかな?」
「うん、バベル君はとっても強いよ」
「そっか」
強いと言われたのが嬉しかったのか、バベルはどこか誇らしげに見えた。
その様子に晃は目を細める。とても眩しかった。自分の気持ちを向き合う彼が。自分の気持ちをきちんと打ち明けられる彼が。とても、とても、眩しく見えたのだ。
星夜や奏多とはまた違う輝き。とても静かだけど、力強くて、優しくて、今頭上に浮かんでいる月のようだと思った。
ずっと彼を見ていたら目が眩んでしまうかもしれない。だから、晃は頃合を見て、彼の手を引いた。
「そろそろ行こうか。帰りが遅くなったらエヴァ君達が心配してしまうからね」
「はーい」
晃の心境など梅雨知らず、バベルは呑気に返事をして、手を引かれるままに歩き出した。
ゆっくりと歩きながら晃は再び空を見上げる。そして、幾万の星を見渡しながら、そっと願い事をした。次に二人で輝く夜空を歩く時に、彼が今よりも笑顔でいてくれるように、と。