見た目はシンプルだけど、味には信頼がおける老舗のチョコレートにしようか。それとも、最近話題になっている鮮やかで可愛いチョコレートにしようか。いっそのこと、頑張って手作りにしてみようか……。
目の前にバレンタインチョコレートのチラシや冊子を積み上げて、朔空は真剣に悩んでいた。
(プロデューサーちゃんはどんなチョコレートが好きなのかな)
アイチュウに入って初めてのバレンタイン。ファンからチョコレートを貰うことは地下アイドル時代からあったが、自分から渡すなんて何年もなかったことだ。
まだ彼が高校生だった頃は、今と同じように頭を抱えていた。しかし、過去と今では渡す相手は同じでも、状況は全く違う。以前は彼女のファンの一人として郵送するしかなったが、今年は直接手渡しできるのだ。彼女を目の前にして、自分の手で想いを渡すことができるのだ。
まるで夢のようで、その時のことを考えるだけでドキドキと胸がときめいて仕方がない。現実だけど、夢なのではないかと錯覚してしまいそうになるくらいだ。
あまりに浮かれすぎて緩みきった表情が出てしまっていた朔空は、遠巻きに視線を感じた。黒羽だ。彼は若干呆れた顔をしつつ、こちらを眺めている。そんな彼の手にはお菓子のレシピ本があった。
その背後にはバベルがいて、興味津々に黒羽の方を見下ろしてした。
「ねぇ、ねぇ、くろ。どうしてくろも、さくも、ちょこれーとをえらんでるの?ばれんたいんは、おんなのこがおとこのこにちょこれーとをあげるひだよね」
くいっ、と黒羽の服を軽く引っ張りながらバベルは尋ねる。声をかけられた黒羽は、読んでいたページを開いたまま本を伏せて、バベルを見上げた。
「確かに日本のバレンタインは女性が男性にチョコレートを贈るという習慣になっている。だが、義理チョコや友チョコなんかはそういうしがらみは関係ない」
「そうなんだ。バベル、しらなかった」
「まぁ、俺の場合はお菓子を作ってくれとせがまれただけだがな?」
「せがまれた?だれに?」
「愛童星夜とレオンだ」
バベルの問いかけに答えた黒羽の声のトーンはどんどんと落ちていく。どうしたのかと少し気になって様子をうかがっていると、黒羽は頭を抱えてブツブツと小声で話し続けた。
「あいつら、ワックのポテトを奢る代わりにチョコレートケーキが食べたいだの、ブラウニーが食べたいだのとあれこれ注文してきたんだ。しかもSサイズのポテト一つでケーキだぞ。材料費がどれだけかかると思っているんだ、割に合わないだろ。それだけじゃない………」
「くろ、おーい…………」
そのまま黒羽は一人で黙々と苛立ちを吐き出し始めた。バベルは何度か黒羽に声をかけたり、手を振ったりしていたが、自分の世界に入ってしまった彼が反応することはなかった。
これはしばらくあのままだろう。少し黒羽のことを気の毒に思い、朔空は心の中でご愁傷さまと手を合わせた。そして、自分はチョコレート選びに戻ろうと思ったのだが、その前にバベルと視線が合ったのだった。
彼はそのままこちらへトコトコとやってきた。
「さくはだれにあげるちょこれーとをみてるの?」
「そんなの、プロデューサーちゃんに決まってるじゃん!」
即答だった。朔空からすれば当然のことだ。バベルもすんなりと納得したようだ。これまで何度も『プロデューサーちゃんに手は出すな』と警告していたおかげかもしれない。
だが、チョコレートの内容は気になるようで、バベルは朔空の背後に回り込んで中を覗き込んできた。少し気は散るけど邪魔ではないからそのままパラパラとページを捲っていると、わぁっと歓声が降ってきた。
「どのちょこもきれいでかわいい。おいしそう」
「でしょ?どれを選ぶか迷っちゃうよ」
「さく、とってもたのしそうだね」
「当たり前でしょ。プロデューサーちゃんに直接チョコレートをあげれるんだよ。考えただけでもゾクゾクしちゃうよ」
朔空はデゥフフ……と声をこぼして笑った。
彼女はきっと驚いた顔をするだろう。そして、「朔空君は貰う側じゃ……」と言ってくるだろう。でも、きっと喜んでくれるはずだ。
色々と脳内でバレンタイン当日の事をシュミレーションして頬が緩んでいく。バベルもニコリとしていた。
「バベル、しってる。こういうの、ほんめいちょこっていうんだよね」
「そうだね。本命どころか大本命だよ。プロデューサーちゃん以外に本命とかありえないね」
「そっか。いいなぁ、バベルもほんめいちょこあげてみたいな」
「じゃあ、まずは恋をしなきゃね。あ、でもプロデューサーちゃんは駄目だから。バベルでも許さないから」
ふにゃりとにやけていた朔空の表情が、一瞬だけ鋭くなる。冗談ではない威嚇だ。バベルは少し表情を引き攣らせつつ、頷いた。
「だいじょうぶ、ぷろでゅーさーには、いつもありがとうのちょこれーとをあげるから」
「それならいいよ。あ、黒は駄目だからね」
「何で俺にも話を振るんだ!」
ずっと独りごちていた黒羽にも朔空の声は届いたようで、すぐに少し苛立ったような返事が戻ってきた。それに対して朔空は意地悪い顔をする。
「何となくだけど?」
更に食ってかかってくるかと思ったが、黒羽はこれ以上は言い返さず再びレシピ本に視線を移した。拍子抜けしてしまったが、朔空は追撃はしなかった。
少し空気が張り詰める。しかし、バベルのワクワクした声がそれを和らげた。
「ねぇ、さく。そこにおいてあるのみてもいい?」
「別にいいよ」
「わーい、ありがとう」
バベルは、朔空が集めてきたチラシや冊子を指さす。朔空は嫌な顔はせず、すんなりと頷いた。
バベルは一言お礼を言うと、適当に冊子を一つ手に取った。それからは誰も話すことはなく、部屋中に静かな空気が広がっていった。
◆◆◆◆◆
バレンタイン当日。黒羽、朔空、バベルの表情はそれぞれバラバラだった。
三期生からお菓子を強請られた黒羽はぐったりしているし、プロデューサーに本命チョコを手渡せた朔空は至福の表情を浮かべている。そんな二人の少し後ろを歩いているバベルはソワソワしていた。
「くろ、さく、あのね………」
アルケミストに用意された部屋に着いたところで、バベルはおずおずと口を開く。彼が何をしようとしているのか、朔空には大体予測がついていたが、敢えて尋ねることにした。
「バベル、どうしたの?」
「あのね、きょうはふたりにわたしたいものがあります」
朔空の予想通り、バベルはリュックをごそごそと漁り出す。そして、小さい箱を二つ取り出した。黒羽はそこでようやく察しがついたようだった。
「えっと、きょうはばれんたいんでしょ。だから、くろと、さくに、ほんめいちょこをあげます」
小さな箱には赤いリボンと青いリボンがそれぞれ巻かれている。少し不格好に巻かれたそれは、バベルが自分で結ったものだろう。
きっと一生懸命用意したに違いない。とても満足そうにしているバベルの様子から、そう感じ取れた。
「バベル、ありがとう」
「まさか、バベルから本命チョコをもらうとは思ってなかったよ」
「びっくりした?ほんとうのほんめいちょこは、こいをしたあいてにあげるものだとおもってるけど、バベルにはこいが、よくわからない。だから、いっしょにいたらしあわせになれて、これからもずっとずーっといっしょにいたいなっておもってる、くろと、さくに、ほんめいちょこをあげたいなっておもったの」
バベルなりの本命チョコ。それを見つめていると自然と表情が緩んでいった。
「どうやらバベルに先を越されてしまったみたいだな」
黒羽は手渡されたチョコレートを大切そうに受け取っると、部屋に備え付けられている冷蔵庫に向かい、そこから何かを取り出した。どうやら、彼も前もって準備していたようだ。
「三期生達に強請られて菓子を作ったんだが、材料が余ったからお前達の分も作っておいた。受け取ってくれ」
透明のラッピング袋には、アイシングで装飾されたカップケーキが二つ入っていた。手作りとは思えない出来だ。
「これ、くろがつくったの?すごい!かわいい!」
「本当に引いちゃうくらい上手だよね」
「おい、お前は素直に褒められないのか?」
「はいはい、上手に出来てるねー」
少し意地悪に黒羽をあしらってみたら、ムッとされた。それが無性に愉快で、朔空は思わず笑ってしまう。何だかんだ言っても嬉しいのだ。
バベルの方はというと、大はしゃぎで喜んでいた。
「あーあ、この流れじゃ俺も何か用意しなきゃいけないじゃん」
「べつに、さくにちょこれーとをきょうようしたりしないよ」
「そうだぞ。無理に集ったりはしない」
「はいはい、分かってるって。まぁ、ちゃんと準備してるんだけどね」
朔空もずっと持っていた紙袋から、二つの箱を取り出す。大きさも形も全く違う箱だ。
「バベルはこっちね。可愛いチョコとか好きでしょ。黒羽こっち。質より量で選んどいた」
「おい!」
扱いに差があるように感じたのか、黒羽は少しだけ怪訝そうな顔をしていた。
「黒、数日前に言ったこと覚えてる?チョコレート一粒に数百円も払うなんてありえないって言ってたよね?」
「…そういえば、言ったな」
「でしょ?」
黒羽はまだ完全に腑に落ちない様子だったが、素直にチョコレートを受け取った。いつもの仏頂面も緩んでいるから、きっと嬉しいのだろう。朔空はそう思っておくことにした。
「くろも、さくも、ありがとう」
「俺の方こそありがとね」
「俺からも礼を言う」
結局お互いにチョコレートを交換して、お礼を言い合って、一緒に笑った。
「バベル、ばれんたいんちょこをあげたの、ことしがはじめて。だから、とってもうれしい」
「俺も義理ならともかく友チョコは初めてかも」
「俺もバレンタインにお菓子を作る日が来るとは思わなかった」
「そしたら、みんな、はじめて。おそろいだね」
「あはは、そうだね」
何だか気恥ずかしい。でも嫌ではない。
(あげるのもそうだけど、仲間って呼べる相手からチョコを貰う日が来るなんてね、思ってもみなかったよ)
朔空は照れながらも胸に温かなものを感じて、二人からもらったものを大切そうに紙袋に閉まったのだった。