腕相撲なんて、学生の頃にクラスメイトがやっているのを遠目に見ていたことがあるくらいの記憶しかなかった。一体何が楽しいのか、他人と力の強さを比べたいものなのか。過去の自分は、幼いながらにもそんなつまらない感想しか抱いたことはなかったはずだ。
もちろん大人になってもそれは変わらないわけだが、今ならその面白さが少しだけ分かる気がした。
「くろ、そろそろげんかい?こうさんする?」
「バベルこそ、疲れてきたんじゃないか?」
黒羽とバベルは、今まさに腕相撲の真っ最中だ。両者の力は拮抗しているのか、組み合っている手は真ん中からほとんど動いていない。しかし、両者の様子は対照的だった。
本気で挑んでいるのだろう、黒羽の顔は真剣そのもので全力を出しているのが分かる。一方で、バベルは手加減しているのか表情に出していないだけなのか、いつもの無表情のままだ。それどころか、頑張っている黒羽を眺めて楽しんでいる様子さえ見て取れた。
(これ、バベルの圧勝なんじゃないの?)
どうしてこんな状況になったのか朔空には分からない。プロデューサーの声と匂いをしっかりと堪能してからユニットルームに戻った時にはこうなっていたのだから…。
(何だろう、この既視感……)
真剣勝負の真っ最中に水を差すわけにはいかず、朔空は黙ったまま二人を眺める。そうしていると、最近テレビで特集されていたとある動画が脳裏を過ぎった。
(あれだ。大型犬に絡む子猫の動画……)
どすんと座った大型犬に、子猫が飛びかかったり、噛みつこうと奮闘する。でも、子猫がどれだけ頑張っても大型犬は全く動じない。そんな感じの動画だったはずだ。前々から黒羽のことを猫っぽいと思っていたせいもあるのか、朔空には目の前の光景がほのぼの動物映像にしか見えなくなりつつあった。
(取り敢えず撮っとくか)
どっちが勝とうがそこまで興味はない。というか、勝敗は明らかだ。このまま放っておいてもいいのだが、折角だからオンスタにでも上げようかな、なんて思いとどまり、朔空はスマートフォンを取り出す。そして、僅かにわくわくと昂り出している自分の感情には敢えて見て見ぬふりをして、ディスプレイ越しに二人の勝負の行方を見守った。